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【修正版】レオポルト・フォン・ゲルラッハ

やる夫が鉄血宰相になるようです のスレで出ていたのですが、それにつけても金のほしさよ さんにて、ドイツ語版Wikipediaのゲルラッハの記事の参考資料になっているうち、Allgemeine Deutsche Biographieの訳をやってくださった方がいたようです。飾り文字読むのきついんでそっちの訳が来るとは思わなかったという^^;

一応、私の方はNeue Deutsche Biographieの方の訳はある程度やってたので、とりあえず文章にしてみます。……って言っても、かなり怪しいところあるので微妙な気もしますが^^;
ビスマルクのことも、こっちでは載ってるので参考になれば幸いです。

謝辞 翻訳にあたって、ADBを訳してくださったハインさんに、2度にわたり有益な助言を頂きました。ここに感謝の意を表したいと思います。

なお、遥か地平線の彼方へ mit Eisen und Blut の視聴者の方にとっては激しくネタバレになるので、追記の方に本文書かせていただきます。ご了承ください。



【追記3/30】誤訳の件、修正しました。ハインさんご指摘ありがとうございました。
【追記3/30】一文抜けていたので追加しました。
【追記3/31】最後のビスマルクによる文の一部の訳に原義と違うところがあったため修正しました。
【追記7/20】第一院=衆院を、第一院=貴族院に修正。他資料より。




 

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やる夫が鉄血宰相になるようです

腰痛Pのところで紹介されていました、こちら↓

やる夫が鉄血宰相になるようです

ちょうど、”遥か地平線の彼方へ mit Eisen und Blut”とドンピシャな時代・人物なわけで、こちらとしても知ってる内容でニヤニヤしてましたが、参考文献が……

『ビスマルク―生粋のプロイセン人・帝国創建の父』  エルンスト エンゲルベルク著 一万円
 ※お値段はアレですが、これはオススメ。ちなみに1はこれを買った後、図書館で同じ物を  
  見つけてマジ泣きした事があります。

『鮮烈・ビスマルク革命』 前田 靖一 著 三千七百円ぐらいで買った記憶が。
 ※↑のやつと重複する箇所があったりしますが、わかりやすさだけなら、これもオススメ。

『ドイツ帝国の興亡―ビスマルクからヒトラーへ 』 セバスティアン・ハフナー著 千九百円
 ※総括的ですが、さらっと読みたいのならコレも。

『図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放』 セバスチャン・ハフナー著 四千七百円
 ※プロイセンとはなんぞや? という疑問に答えてくれるかと。

『ドイツ参謀本部興亡史(上)』 ヴァルター・ゲルリッツ著 六百八十円
 ※参謀本部となっていますが、プロイセン軍そのもの、あるいはドイツ軍
  そのものが書かれているので、結構重宝します。


被ったあああああwwwww
ああ……ネタ被るかも知んね……その辺は腕の見せどころか(ハードル上がりまくりwwww

ええっと……とりあえず、こちらの参考文献を(mixiではすでに晒してますが)以下に挙げておきます……。

G. Mann『近代ドイツ史』みすず書房
S. Haffner『図説プロイセンの歴史』東洋書林
S. Haffner『ドイツ帝国の興亡 ビスマルクからヒトラーへ』平凡社
Tocqueville『フランス二月革命の日々』岩波文庫
エルンスト・エンゲルベルク 『ビスマルク 生粋のプロイセン人・帝国創建の父』海鳴社
松井道昭『フランス第二帝政下のパリ都市改造』日本経済評論社
松村 他『英国文化の歴史3 女王陛下の時代』研究社出版
渡辺昇一『ドイツ参謀本部』中公新書
柴田三千雄『パリ・コミューン』中公新書
林達『ドイツ産業革命』学文社
エンゲルス『フォイエルバッハ論』岩波書店
小暮太一『マルクスる?』星雲社
稲葉義明『剣の乙女』新紀元社
『ドイツ現代史』山川出版
『フランス現代史』山川出版
『イタリア現代史』山川出版
ハイネ詩集
Jomini『戦争概論』中公文庫
Machiavelli『君主論』中公文庫
防衛大学校『軍事学入門』かや書房
松村劭『名将たちの指揮と戦略』PHP新書
是本信義『完全図解 兵法のすべてがわかる!』知的生きかた文庫
Grossman 他『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』二見書房
『世界伝記大事典』ほるぷ出版
『世界こども人物館』小学館
『コマンド・マガジン日本版』vol.73 国際通信社

ヘルムート・フォン・モルトケ

Vicでプレイ動画作りますが、あらかじめその時代の史実の登場人物を何人かまとめておこうと思います。というわけで、まずは大モルトケから。

ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(1800.10.26~1891.4.24)
 メクレンブルクのパルヒムに、ナポレオン戦争で没落したドイツ貴族とデンマーク貴族の間に生まれる。1811年~1817年、コペンハーゲン王立士官学校に通い、19年デンマーク軍入隊。しかし、デンマークは士官が過剰状態であったため、活躍の場を求めてプロイセン軍に22年に籍を移す。歩兵少尉。
 23年~26年にかけてベルリン陸軍士官学校へ。連隊勤務にはほとんど付かなかった。28年から参謀本部測量部へ配属される。
 モルトケは、軍人らしからぬ繊細な性格の持ち主で、モルトケ自身もこれを欠点に思っていたようで、デンマーク軍時代は「自身の不幸な特性」と嘆いていた。モルトケはこの内気さと寡黙さを、小説の執筆や翻訳に転嫁して晴らすことになる。例えば、つもり積もった不満のはけ口を、自己投影した自作小説に向けるなど。
 33年中尉、35年大尉になる。同年9月、オスマン帝国の軍事顧問に派遣される。39年にシリア戦役に従軍し、初めて前線に立つ。寡黙な文化人は、このときオスマン軍兵士からは古来の英雄の再来のような評価を受けたらしい。このときモルトケは中東の地図を描いたり、戦地のスケッチや水彩画をよく描いていた。(絵も描けるとかドンだけハイスペックなんだ、この人は……)
 40年にプロイセン軍に復帰。41年に自身のオスマンでの日々を綴った「トルコ通信」を発表。モルトケ41歳のとき、義理の姪である26歳下のマリーと結婚。(なお、実の妹に「娘を貰う」宣言をしたのは39歳のときだったり)。なお、モルトケ自身は若い頃は確実にイケメンに属する人で、物静かでも頭の回転が早いので話を面白くするタイプの人だったので、相手を作ろうと思えば容易だったにも関わらずなので、ロリコンなのか、信頼する妹に育てられた子だからなのかは不明ながらも……ねぇ……?
 なお、マリーはモルトケを尊敬し、モルトケもマリーを最後の最後まで愛し続けまして、夫婦生活は円満でした。
 モルトケは、コブレンツ第8軍付参謀、兵站部、参謀本部と籍を移しながらしばらくして、マテルブルクの第4軍参謀長に就任。1848年革命では弱腰の王(フリードリヒ・ヴィルヘルム4世)にイライラしたのか、オーストラリアに移住しようかと計画する。
 しかし、ローマにいたハインリヒ王子、そしてフリードリヒ・ヴィルヘルム王子(のちのフリードリヒ3世)の副官になり、外交経験を積む。その間旅行記を書き続け、語学にも通暁する。そのため、「7ヶ国語で沈黙する術を知っている人物」とまで言われた。どう見ても軍人じゃなくて文筆家です。
 57年、陸軍少将になり、参謀総長代行、58年に正式に参謀総長に就任。モルトケは近代技術を積極的に取り入れるように強調し、鉄道網の整備を図る。
 64年、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争。オーストリア=プロイセン同盟軍によるデンマーク攻撃(総司令官ヴランゲル元帥と参謀長ファルケンシュタイン)が失敗すると、陸相ローンはモルトケを派遣し参謀長にする。デンマーク軍は、できるだけ戦争を長引かせて、英国やフランス、ロシアの圧力でプロイセンとオーストリアを追い詰める気であったため、モルトケは速攻で勝負を決めようとする(デンマークにとっては残念ながら、外交ではプロイセンにビスマルクがいたが)。モルトケは上陸戦を成功させ、ゾンデルブルクを占領。オーストリアもユトラント半島を占領し、デンマークはシュレーズヴィヒ・ホルシュタインを放棄した。
 この間、将来敵に回るオーストリア軍の編成をしっかり観察していたことは言うまでもない。
 シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争の勝利後、モルトケはオーストリアへ向けて鉄道を積極的に敷く。その後、占領地やドイツの覇権を巡ってオーストリアとプロイセンは戦争することになる。
 66年、普墺戦争。プロイセン王ヴィルヘルム1世(フリードリヒ王子の父)から全軍の指揮権を委ねられたモルトケは、プロイセン軍の85%をもってボヘミアのオーストリア=ザクセン連合軍に対して電撃的攻撃をかける、という簡潔な命令を出す(まぁ、この人は基本的に「命令書は3行でおk」って人だから)。鉄道での輸送、各々が自己判断で動ける師団等々、モルトケが改革したプロイセン軍は、列強オーストリアとドイツ諸侯連合を撃破。7月3日、ケーニヒスグレーツの戦いではオーストリア軍を完全に叩きのめし、オーストリア軍は総崩れになり、わずか7週間で戦争は終結した。この戦争で、それまで文人としての方が名が知られていたくらいのモルトケは、一躍軍人としてその名をヨーロッパ中にとどろかせることになった。
 70年、普仏戦争。ビスマルクの根回しでフランスが孤立したところで、フランスの方から宣戦布告してくる(エムス電報事件)。モルトケは、7月30日に侵攻してきたフランス軍を、ヴィッセンブルクとシュピヘレンで撃退する(8月6日)、そして、一転攻勢に転じた。当然、鉄道を前年までにフランスに向けて敷きまくっており、総動員をかけたのがフランスよりも遅かったにもかかわらず、プロイセンはフランス軍の準備が整う前にアルザス・ロレーヌ地方に雪崩れ込んだ。
 プロイセンはシュタインメッツ指揮の第1軍が第2軍の進路に軍を展開するというミスをしたために、混乱するフランス軍をプロイセン国内で包囲殲滅することは出来なかったが、モルトケは渋滞した中から2個軍を引っ張り出し、フランス軍をメッツで包囲する。フランス皇帝ナポレオン3世は、マクマオン元帥とメッツ救援に向かうが、8月30日のボーモンの戦い、9月1日、2日のセダンの戦いで降伏した。以降、掃討戦が続き、71年1月18日、ドイツ帝国が成立。1月28日、休戦。5月10日、フランクフルトでアルザス・ロレーヌ割譲を含む講和条約が結ばれた。
 同年6月、普仏戦争勝利の功でモルトケは元帥に昇進。
 その後、88年退役。新帝ヴィルヘルム2世には批判的で、91年4月24日に死去するまで政治活動を続けることになる。
 モルトケは、鉄道や電信などの近代技術をフル活用したため、それまでの「馬上の軍人」に対して「車上の将軍」と呼ばれた。また、彼が採用した「Auftragstaktik:任務重視戦術」によって、あらゆる階級のものが命令によって達成目標に従属し、その達成のためにほぼ各人の裁量が認められた。フランス革命以降急激に増大した軍を、総司令官がひとりで担当するのは不可能なので、部下を信頼するこのやり方は画期的だった。また、モルトケは部下が各々判断でき、実践できるような訓練システムを導入した。
 モルトケは、「偉大な沈黙者」と呼ばれるほど、その圧倒的な影響力に対して寡黙であり続けた。そのため、理想の武官として、現在においても名高い。
プロフィール

久間知毅

Author:久間知毅
和歌山の南の方出身/学生時代:電気工学→理論計算機科学/歴史小説書きorシナリオ書き,たまにイラスト担当/ニコニコ動画では語学(ドイツ語等)講座,数学講座やドイツ統一史を連載中/TRPG(クトゥルフ,ARA2E),艦これ

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