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はるかな×Victoria動画制作状況

とりあえず、プロイセンまわりを固めてます……
登場人物のキャラ固定とか……ある程度固まったところでいえば、

・フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
・ビスマルク
・モルトケ
・ラサール
・マルクス
・エンゲルス
・フォイエルバッハ

あとは、プレイ方針ですが、普通にやるとそりゃプロイセン強いので、史実通り、国内に足を引っ張る要素付け加えないと……
実際、プロイセンの首脳部は、「統一なんかしたくねー」で一致してましたので。せいぜいフリードリヒ3世とをの周りの自由主義者くらいですから(統一万歳なのは)。

まぁ、Vicやってて大抵思う「自由主義UZEEEEEEEE」を地で行くかもしれない^^;
(でも実際、あの時代の自由主義はナショナリズムに直結してましたので、プロイセン流の啓蒙主義的自由とは相容れないでしょう。というか、プロイセン流の自由のほうが、ナショナリズム的な自由よりも普通にマシな気がしてきた今日この頃……

あとは、ロシアとデンマークにちょっとてこ入れを……じゃないと弱すぎる^^;
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試験期間の気晴らしに

定期考査が始まったのですが、早速英語で撃沈した件について。
……まぁ、最大の難関と思っていた2つの科目が殊の外よく出来たので、そっちはよかったのですが^^;


とりあえず、早速山を越えたので、気晴らしに久々に絵でも描いてみました。
と言っても、今回は初めて下書きからPCで始めてみたのですが。
カラーやってるほどは余裕ないので、モノクロで勘弁^^;

試作品
クリックで拡大


さて、そろそろVic動画を作り始めるので、いろいろと固めていかないと……。

とりあえず導入的なもの

Vicでプロイセンプレイやるので、とりあえずイメージとして。
プロイセンの取り扱いは、多分こんな感じになると思う。

ある人はその国を、世界一自由な国だと言った。
ある人はその国を、世界一反動的だと言った。
ある人はその国を、最も理性的な国だと言った。
ある人はその国を、最も野蛮な国だと言った。
ある人はその国を、軍が国家を有していると言った。

その国は確かに自由だった。
部族に根ざした基盤もなく、
信仰に即した原則もなく、
自然の国境すらなく、
もっぱら国家として国家が存在した。

国家は国民に義務を強いた。
義務はそのまま自由となった。
国家は国民の自由に無関心であった。
故に国民は自由であった。
プロテスタントもカトリックも正教徒も、
ドイツ人もポーランド人もフランス人も、
国家に忠誠を誓う限り誰一人差別されなかった。
どこまでも理性的で、
どこまでも雑多で、
どこまでも粗野な国。
わずか二百年あまりの、その国家の輝きは、
さながら蜃気楼のように、
けれども確実に、
中欧を照らし、
そして湧き上がった新たなる民族の自由に消えた。

ニコ証に上場してきた

講座から、ある程度まとまっているものをニコ証に上場してきました。これで管理・閲覧が便利になるかな……?





pixivはじめました

とある方(と言っても、すぐにわかりますが)に誘われてpixiv入ってみました。

以下、プロフページ
http://www.pixiv.net/member.php?id=970681


まぁ、今絶賛テスト期間中で、2週間は何もできないんですが^^;



PS 一応、サラとローゼが成長したらどうなるか&サラとローゼの幼い頃のラフ画をうpしときました。

Victoriaプレイ動画に関してのアンケート結果

先月21日からの「Victoriaプレイ動画に関するアンケート」の結果を発表します。

さて、最初の項目「Q1. Victoriaのプレイ動画で見てみたい国をひとつ選んでください」についてです。

1位 「統一への道、プロイセン王国 」
■■■■■■(6票/50.0%)

2位 「上記以外」
■■■ (3票/25.0%)

3位 「弱小国のまま終われない?オルデンブルク大公国」
■■■ (3票/25.0%)

投票なし 「プロイセンやオーストリアにいい顔はさせない、ヴュルテンベルク王国」
(0票/0%)

……というわけで、プロイセンが投票では1位とのことです。ただ、コメントで指摘されている通り、プロイセンは人間が操作すると恐ろしく強くなるので、プロイセンでプレイするにはそれなりの縛りをつける必要があるかもしれません。
……さすがに、竜騎兵オンリーとかはしませんがw

まぁ、オルデンブルクでやったことはありますが、あれは「動員→補給線無視して植民地取ってくる→植民地兵大量投入でプロイセン以外の北ドイツ諸国+フランクフルト+バーデン潰す」という、ちょっと現実無視なプレイになってしまったので、非常に仮想戦記チックにはしにくいという問題が^^;
某AARのようには上手く行かないです……
(しかも、常にプロイセンの影やオーストリアの影から殴ってましたし。さすがに、ローゼやミハエルにそんなことはさせられないです)

まぁ、現実的なところで言うと、「史実縛り」でしょうか……


続いての項目「Q2. 路線はどんな風なものがいいですか?

1位「シリアス:ギャグ=50:50」
■■■■■■■■(8票/80.0%)

2位「ギャグを多め」
■■ (2票/20.0%)

投票なし 「シリアス路線」
(0票/0%)

まぁ、これに関しては予想通りというか、まぁそうだろうなというか^^;
おk。頑張ります。


3つ目の項目「Q3. プレイ方法としてはどのようなものがいいですか?

1位「史実路線」
■■■■■■(6票/60.0%)

2位「史実無視」
■■■■(4票/40.0%)

一応、史実路線の方が得票数は高かったですが、史実無視も無視できないほど肉薄していまして……いやはや、どうしたものか。
まぁ、ゲームの展開によっては、史実どおりになりませんがね、これ……とはいえ、自分自身は史実重視でいこうとは思います。展開次第ですし^^;

これは、プロイセンでの「史実縛り」とも込みで考えていこうと思います。

最後の項目の「はるかな以外のキャラを出すべきですか?」では、「出してもいい」という意見が4票入りましたが、この件については少々……難しいものがあるので、ちょっと保留です。

とはいえ、他のニコニコでのプレイ動画、wikiのAARなどの影響はモロに受けると思われるので、登場する人の性格がいろいろと改変されているかもしれません^^;
(特に、某イタリアの英雄とか

もうひとつ、はるかなのキャラクターの人気投票ですが……得票があった人だけをならべるとこのような感じです。

Rose.png
1位 ローゼ・オイゲニー・フォン・エッカルト・コーツブルク
■■■■■■ (6票/54.5%)

Sara.png
2位  サラ・リーリエ・ド・ベルス
■■(2票/18.2%)

Emiko.png
2位 相馬咲子
■■(2票/18.2%)

Helene.png
4位 ヘレーネ・シャルロッテ・フォン・シュタールブルク・ルヴォア
■(1票/9.1%)

……という感じに、順当にヒロイン4人(ゲーム脚本時代に個別ルートがあった人たち)が得票しました。

まぁ、露出頻度からしてわからないでもないですが^^;


以上を反映させて、脚本やゲームの方針を決定したいと思います。


最後に、キャラクターの年齢についてのアンケートをひとつ追加します。

というのも、少なくとも、GCから始めたとして、史実重視でドイツ統一しようとすると、1836年から1871年までプレイする必要があり、30年以上も間が空いてしまうわけで……
はるかなの作中設定の年齢なら、サラやローゼたちは60年代の人間ですしね^^;

というわけで、以下に選択肢を用意しました。
まず、前提としてGC(1936年)シナリオで始めるということ。
その中で、1.登場キャラクターの年齢は史実人物も含めて固定(歳を取らない)。
2.はるかなのキャラのみ年齢が固定。
3.はるかなのキャラクターも含めて歳を取る。
4.GC以外のシナリオで始めて、はるかなのキャラクターも歳を取る。

……という感じで、皆さまの考えをお聞かせ願えれば幸いです。





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ヘルムート・フォン・モルトケ

Vicでプレイ動画作りますが、あらかじめその時代の史実の登場人物を何人かまとめておこうと思います。というわけで、まずは大モルトケから。

ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(1800.10.26~1891.4.24)
 メクレンブルクのパルヒムに、ナポレオン戦争で没落したドイツ貴族とデンマーク貴族の間に生まれる。1811年~1817年、コペンハーゲン王立士官学校に通い、19年デンマーク軍入隊。しかし、デンマークは士官が過剰状態であったため、活躍の場を求めてプロイセン軍に22年に籍を移す。歩兵少尉。
 23年~26年にかけてベルリン陸軍士官学校へ。連隊勤務にはほとんど付かなかった。28年から参謀本部測量部へ配属される。
 モルトケは、軍人らしからぬ繊細な性格の持ち主で、モルトケ自身もこれを欠点に思っていたようで、デンマーク軍時代は「自身の不幸な特性」と嘆いていた。モルトケはこの内気さと寡黙さを、小説の執筆や翻訳に転嫁して晴らすことになる。例えば、つもり積もった不満のはけ口を、自己投影した自作小説に向けるなど。
 33年中尉、35年大尉になる。同年9月、オスマン帝国の軍事顧問に派遣される。39年にシリア戦役に従軍し、初めて前線に立つ。寡黙な文化人は、このときオスマン軍兵士からは古来の英雄の再来のような評価を受けたらしい。このときモルトケは中東の地図を描いたり、戦地のスケッチや水彩画をよく描いていた。(絵も描けるとかドンだけハイスペックなんだ、この人は……)
 40年にプロイセン軍に復帰。41年に自身のオスマンでの日々を綴った「トルコ通信」を発表。モルトケ41歳のとき、義理の姪である26歳下のマリーと結婚。(なお、実の妹に「娘を貰う」宣言をしたのは39歳のときだったり)。なお、モルトケ自身は若い頃は確実にイケメンに属する人で、物静かでも頭の回転が早いので話を面白くするタイプの人だったので、相手を作ろうと思えば容易だったにも関わらずなので、ロリコンなのか、信頼する妹に育てられた子だからなのかは不明ながらも……ねぇ……?
 なお、マリーはモルトケを尊敬し、モルトケもマリーを最後の最後まで愛し続けまして、夫婦生活は円満でした。
 モルトケは、コブレンツ第8軍付参謀、兵站部、参謀本部と籍を移しながらしばらくして、マテルブルクの第4軍参謀長に就任。1848年革命では弱腰の王(フリードリヒ・ヴィルヘルム4世)にイライラしたのか、オーストラリアに移住しようかと計画する。
 しかし、ローマにいたハインリヒ王子、そしてフリードリヒ・ヴィルヘルム王子(のちのフリードリヒ3世)の副官になり、外交経験を積む。その間旅行記を書き続け、語学にも通暁する。そのため、「7ヶ国語で沈黙する術を知っている人物」とまで言われた。どう見ても軍人じゃなくて文筆家です。
 57年、陸軍少将になり、参謀総長代行、58年に正式に参謀総長に就任。モルトケは近代技術を積極的に取り入れるように強調し、鉄道網の整備を図る。
 64年、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争。オーストリア=プロイセン同盟軍によるデンマーク攻撃(総司令官ヴランゲル元帥と参謀長ファルケンシュタイン)が失敗すると、陸相ローンはモルトケを派遣し参謀長にする。デンマーク軍は、できるだけ戦争を長引かせて、英国やフランス、ロシアの圧力でプロイセンとオーストリアを追い詰める気であったため、モルトケは速攻で勝負を決めようとする(デンマークにとっては残念ながら、外交ではプロイセンにビスマルクがいたが)。モルトケは上陸戦を成功させ、ゾンデルブルクを占領。オーストリアもユトラント半島を占領し、デンマークはシュレーズヴィヒ・ホルシュタインを放棄した。
 この間、将来敵に回るオーストリア軍の編成をしっかり観察していたことは言うまでもない。
 シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争の勝利後、モルトケはオーストリアへ向けて鉄道を積極的に敷く。その後、占領地やドイツの覇権を巡ってオーストリアとプロイセンは戦争することになる。
 66年、普墺戦争。プロイセン王ヴィルヘルム1世(フリードリヒ王子の父)から全軍の指揮権を委ねられたモルトケは、プロイセン軍の85%をもってボヘミアのオーストリア=ザクセン連合軍に対して電撃的攻撃をかける、という簡潔な命令を出す(まぁ、この人は基本的に「命令書は3行でおk」って人だから)。鉄道での輸送、各々が自己判断で動ける師団等々、モルトケが改革したプロイセン軍は、列強オーストリアとドイツ諸侯連合を撃破。7月3日、ケーニヒスグレーツの戦いではオーストリア軍を完全に叩きのめし、オーストリア軍は総崩れになり、わずか7週間で戦争は終結した。この戦争で、それまで文人としての方が名が知られていたくらいのモルトケは、一躍軍人としてその名をヨーロッパ中にとどろかせることになった。
 70年、普仏戦争。ビスマルクの根回しでフランスが孤立したところで、フランスの方から宣戦布告してくる(エムス電報事件)。モルトケは、7月30日に侵攻してきたフランス軍を、ヴィッセンブルクとシュピヘレンで撃退する(8月6日)、そして、一転攻勢に転じた。当然、鉄道を前年までにフランスに向けて敷きまくっており、総動員をかけたのがフランスよりも遅かったにもかかわらず、プロイセンはフランス軍の準備が整う前にアルザス・ロレーヌ地方に雪崩れ込んだ。
 プロイセンはシュタインメッツ指揮の第1軍が第2軍の進路に軍を展開するというミスをしたために、混乱するフランス軍をプロイセン国内で包囲殲滅することは出来なかったが、モルトケは渋滞した中から2個軍を引っ張り出し、フランス軍をメッツで包囲する。フランス皇帝ナポレオン3世は、マクマオン元帥とメッツ救援に向かうが、8月30日のボーモンの戦い、9月1日、2日のセダンの戦いで降伏した。以降、掃討戦が続き、71年1月18日、ドイツ帝国が成立。1月28日、休戦。5月10日、フランクフルトでアルザス・ロレーヌ割譲を含む講和条約が結ばれた。
 同年6月、普仏戦争勝利の功でモルトケは元帥に昇進。
 その後、88年退役。新帝ヴィルヘルム2世には批判的で、91年4月24日に死去するまで政治活動を続けることになる。
 モルトケは、鉄道や電信などの近代技術をフル活用したため、それまでの「馬上の軍人」に対して「車上の将軍」と呼ばれた。また、彼が採用した「Auftragstaktik:任務重視戦術」によって、あらゆる階級のものが命令によって達成目標に従属し、その達成のためにほぼ各人の裁量が認められた。フランス革命以降急激に増大した軍を、総司令官がひとりで担当するのは不可能なので、部下を信頼するこのやり方は画期的だった。また、モルトケは部下が各々判断でき、実践できるような訓練システムを導入した。
 モルトケは、「偉大な沈黙者」と呼ばれるほど、その圧倒的な影響力に対して寡黙であり続けた。そのため、理想の武官として、現在においても名高い。
プロフィール

久間知毅

Author:久間知毅
和歌山の南の方出身/学生時代:電気工学→理論計算機科学/歴史小説書きorシナリオ書き,たまにイラスト担当/ニコニコ動画では語学(ドイツ語等)講座,数学講座やドイツ統一史を連載中/TRPG(クトゥルフ,ARA2E),艦これ

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