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文章の書き方に関するメモ(twitterより)

日本語の書き方というか、助詞の使い方や文中での間の取り方、一意に読ませるための書き方などを話すと感心されることが多い。「日本語だから感覚で書いてる」という、その「感覚」の理由付けにもなるからかと思うけど


意外と句読点の使い方をミスする人が多い印象。あと、臨場感や躍動感といったニュアンスの出し方とかも、需要あるっぽい。


ケータイ小説(笑)って馬鹿にされること多いけど、携帯電話の画面と対象読者から、バッファが10文字しかないんだから、あまり凝った表現が使えないのは当たり前だったりする。だから、ああいう形態とるのは仕方ない部分が多い。


人に小説とかの指導するようになってから改めて意識したんですが、意外とこういうことは知らない人が多いです→「三点リーダとダッシュの使い方」「疑問符と感嘆符のあとに1マス空けること」。まぁ、わかったのでこの内容は本に入れますが。


まぁ、何にせよ、ストーリーを作るというのは、「完結すること」が主目的になるわけ。完結しないとそもそも評価されない。あとはいかに完結させることが出来るか、かな。初心者がプロット組め言われるのは、それだけ完結させることが難しいからかと。


複眼的思考に関しては、あらゆる物事を多角的に見る目を養おうということを書こうかなと。やはり一面で物事を捉えている内は、いくら小説書いたとしても薄っぺらいものになってしまう。


ロジカルシンキングのところでは、自分にいかに質問するか、的なことを書こうかなと。まぁ、要するに正・反・合のことですが。ただ、こうすることでストーリーの中に最初は考えてもなかった深みを出すことが出来るかと。


ストーリーの可視化、のところでは、いわゆるプロット作成の前段階の解説になるかと。専攻が専攻なので、状態遷移図を用いて終了状態に繋げるって感じで。とにかく終結まで書けなければ、いくら途中まで上手くいってもしかたないものがあるので。


~が、~の、~に、~を といった助詞は、体言に付いて文中の役割を示す。これを格助詞という。ドイツ語やラテン語、ロシア語とかでやる格変化は、これに相当する。格助詞の種類は「が、の、に、を、へ、と、から、より、で、や」。


~は、~しか といった助詞は係助詞といい、強調や述語との対応などの役割がある。述語と対応というのは、古文の係り結びの法則に由来。そのため、「私は君が行くのを見た」というような構造が入れ子になっている文でも、「~は」が文末の動詞と結びつくので、特に構造を意識しなくても文が成り立つ


「~ね」「~よ」などの助詞は終助詞という。文や文節の終わりについてニュアンスを付加する。ただし、学校で習う文法での用法以外にも、終助詞は日常会話に頻出する。「あら、かわいいわね」とか「でも、いいのかしら」とか「そうよ! そうに決まってるわ」など。


「青い」「白い」というような単純な構造を持つ修飾詞は、他に与える影響が非常に大きい。そのため、このような修飾詞は出来るだけ修飾する語の直前におく必要がある。他方、「三角形が描かれた」のような修飾詞は構造が複雑なため、他にあまり影響を与えないので、修飾する語から離しても影響が少ない


修飾詞の順番の例はこのような場合。青い色画用紙に三角形が描かれている情景を描写するのに、「青い三角形が描かれた紙」と書いてしまうと、「青い三角形」と誤読されてしまう。よって、構造が複雑な修飾詞から並べて「三角形が描かれた蒼い紙」としなければならない


ちなみに、修飾詞の順番は読点(、)をつけることでも対応できる。「青い、三角形が描かれた紙」のような感じで。ただ、最近はあまり読点をつける文は、流れが悪くなるので使われない傾向にある。


人間の頭の中に一時保存できる文字数というのは、せいぜい50字程度。それを超えると途端に主語述語がねじれたり、読んでいるときに最初の方を忘れて誤読させたりする。係助詞が文末の動詞と結びつくといっても、50字を超えるような挟み方をすると誤読される率が非常に高くなる


50字を超えるような文を書かないことが理想ではあるが、それが出来ないときは係助詞が付く体言を移動させたり、構造が一旦区切れるように単語を入れ替える等の配慮が必要になる


ニュアンスとしては、婉曲的な表現の方が丁寧になる。一番簡単な婉曲表現が、過去形にすること。よって、「ありがとうございます」より「ありがとうございました」の方が少し丁寧に感じる。


美化語(ご飯、の「ご」など)は、接頭語として名詞に付く。美化語には「御」と「お」「ご」があるが、使い分けとして「漢字の語には”御”」「ひらがな交じりには”ご””お”」となる。カタカナ語には美化語はつけない。ただし、女性主体の語ならば漢字の語でも「ご」「お」が接頭する(例:ご飯)。


カタカナ語には美化語を接頭しないと言っても、唯一「ミサ」には美化語をつけてもよいことになっている。


シナリオやストーリーと言った大枠ではなく、もっと細かい個々の文章を書くときに、個人的に一番注意しているのは、「読者のストレスを最小限にする」こと。読者に強烈な負荷を書けるような文は、たとえ内容がどれほど良くても駄文になってしまう。


読者に「無闇に」ストレスを書ける文、と書いたほうが適切かな。


読者に無闇にストレスをかける文の特徴として、「意味が一意に取れない」「文が長い」「主語と述語がねじれる」「対象とする読者層と合致していない」がある。


実はシナリオにしても小説にしても、誰を対象として書くかというので、どこまで書いていいかが決まる。これを外してしまうというのは、例えば保育園児向けの絵本で微積分の計算がわからないと読めない内容の話をしたり、社会人向けの大衆小説で分数の計算のやり方まで説明したりといった具合。


読者という制約がある以上、例えばケータイ小説はかなり語彙が限られる上に、携帯電話の画面上の問題で10字程度しか頭に残らないので、安直で簡単な表現しか用いることが出来ない。逆に、読者の能力に依存できる純文学はかなりの言い回しや巧妙な表現をしても大丈夫なように出来ている


大衆小説はというと、社会人が対象なのであまりコアなネタや表現以外なら書いても読者はついてくる。ライトノベルだと、中学・高校生程度の人にわかるような表現を心がける必要がある。戦記モノだと、軍事に関しては読者に依存できるので、大衆小説のノリから軍事の説明を省けるくらい。


何にせよ、純文学が優れているわけでも、ケータイ小説が優れていないわけでもない。媒体や読者にどの程度依存できるかによって、書ける表現や語彙に制約が出てくるだけの話だからだ。


小説やシナリオにおけるストーリーというのは、結局のところ「いかに人を上手く騙すか」ということになってしまう。上手く騙すということは、結局のところ「いかに人に嘘をつかずに誠実でいられるか」ということになってしまう。相反するように見えるが、ディティールのあるストーリーとはそういうもの


日本語でディティールに相当するのは「信憑性」という言葉かな。虚構の世界という「嘘」であっても、自分に誠実に、相手に誠実にあらねば、そこに信憑性は生まれない。物語を実際に構築するのは、読者の頭の中でしかないからだ。


小説家は、読者に「次は何が起こるのか」とワクワク期待させる必要があるが、一方でストーリーに安心して身を委ねさせることができるとも期待させる必要がある。予定調和、勧善懲悪が好まれるのはこれが理由だったりする。


「事実は小説より奇なり」という言葉は確かに正しい。小説等のストーリーの根幹には、事実のような偶然が存在してはならないからだ。CLAMPの「この世に偶然はない。あるのは必然だけ」的な描写は、虚構という世界を非常に上手く言い表している言葉だったりする。


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久間知毅

Author:久間知毅
和歌山の南の方出身/学生時代:電気工学→理論計算機科学/歴史小説書きorシナリオ書き,たまにイラスト担当/ニコニコ動画では語学(ドイツ語等)講座,数学講座やドイツ統一史を連載中/TRPG(クトゥルフ,ARA2E),艦これ

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